Everything’s gonna be alright. 大丈夫、全部上手くいくよ。




◎2007/2/24(土)

日課の朝の病院通い。退院してから、今日でちょうど1週間経った。本日の外来の担当医は、私の手術を執刀してくれた主治医の先生だ。(抜糸するために傷口を掘り返したのも、この先生)

気さくなにっこり笑顔で迎えてくれて「うん、分泌物も少なくなってきたね。ちゃんと(傷口が)塞がってきてるよ!うんうん」と、経過の具合に好感触なご様子。でも、消毒してもらう時はまだやっぱり痛くて緊張してこわばってしまう。(掘り返された時のイタタタ経験がトラウマ)

イソジンを塗り塗りされながら「でもまだ結構痛いんですよ、先生」と泣き言を言うと

「そうかー。でも痛いのはいいことなんだけどね。細胞が生きてるってことだからね」

 

細胞が、生きている、、、!

 

ふぅ~ん。そう思うと、痛いことすらちょっと神秘的な気がしないでもなく。

「今、どんどん肉が盛り上がってきてるからね、盛り上がってきて、きれいに塞がってきてるから。うん。この調子だと縫わなくてもよさそうかな」

え?まだもしかしたら縫ったりしなければいけないような状態だったの!?勘弁して。「やだー!じゃぁ、肉に大いに盛り上がってもらわないと!!」と焦る私。「うん。そうそう!大いに盛り上がってもらって、はっはっはー」と楽しげな先生。

肉の宴ーーー。
私の細胞さんたち、頑張ってーーー。

 

 

◎2007/2/26(月)

手術以降、ずっと生理の終わりかけ程度の出血だったのに、日曜、月曜と、やけに鮮血で生理4日目ぐらいの量の出血がある。(土曜日の午後遠出して、久しぶりに習いごとの仲間と会い、わーーーっと騒いだからかな、、、)性出血が、なかなか止まらない。怖いな。

そのことを先生に聞くつもりが、すっかり失念してしまった。せっかく月曜の朝は、外来担当が主治医の先生だったのに。お腹の張り(ガス)が微妙に残っていて(まだお腹がぽっこり出ている)「先生ー!私って、もともとこんなにお腹出てましたか?!」って、そんなどうでもいいことは聞いたのに。ばか。(お腹の張りが消えるのは、術後10日から、長い人なら1ヶ月ぐらいかかるそう)

でも、本当によくなってきた。私が、ちゃんと「わたし」になって、日に日に日常のリズムを取り戻している。午前中に病院へ寄り、午後は出社。きちんとご飯を食べて、お酒ももうOKだ。「傷がまだ痛いの~お腹曲げられへんの~」と、彼に甘えて大袈裟なことを言って、足の爪を切ってもらったり、靴下をはかせてもらったりしながら(笑)

通勤も、もうつらくない。両足で、踏ん張れる。

そんな中、今日は、ちょっと衝撃的なことがあった。今年になってから短期契約派遣社員として入ってきた、お昼を一緒に食べている同僚のひとりから。週末何してた、という会話の中で「何してたっけー。あ、そうだよ。病院行ったりしてたんだ。私ね、なんか、、、妊娠してるみたいで、、、」私に気を遣ってか(彼女もある程度、私に何が起こったか知っている)少し言い淀みながら、でも、確実に喜びを抑えきれない様子で、報告があった。しかも、もう安定期に入ったそうで。(出産する前提の、短期だったのね)

一瞬、ピリッと心が痛んだけれど素直に「おめでとう!」が言えた。だって不思議なことに彼女は妊婦さんだって、言われなくても私は気付いてた。彼女は、35才。よかった、年上で。もし彼女が私より若かったら、たぶん、素直に喜べなかったし、やっぱり何となく恨めしいというか、勝手に傷付いてしまったと思うんだ。

はぁぁぁ。人を恨まない、羨ましがらないと、そう固く誓ったんじゃなかった?私も、そこまで出来た人間じゃない。少し落ち込む。

がんばれ私。

ちょっと高齢出産だよね?と心配している彼女には、大丈夫だよー!元気な赤ちゃん産んでね!って、心からエールを送ろう。

 

 

◎2007/3/5(月)

主治医の先生が診てくれる日は、ハッピーな日。消毒してもらうために、寝台に横になる。「やあ○○さん、こんにちは。どう?」カーテンの向こうから、ひょっこりと先生は登場する。「あ、そうそう。これまだ渡してなかったみたいで、出てきたから。ハイ」先生からふいに手渡されたのは、血液型検査証明書。ほう、私、間違いなくO型なんですね。

「でも先生。もう特にこんなの必要ないですよね?」その小さな黄色い紙切れを、指先でつまんでぴらぴらさせながら、あまり考えなしに言ったら「次にお産する時にまた要るんだからね。まあ持ってて」と、先生はサラリとおっしゃった。傷口に消毒を施してくれる先生の横顔を、思わずじっと見入ってしまった。そうか。次にお産する時、、、きっと、必ず、「次」はあるんだ。なんだか、しみじみ、じ~んと感慨深くなった。

絶対に、忘れるわけじゃない。

けれど。赤ちゃん赤ちゃんって必死になり過ぎたり、失くした小さないのちを振り返ってメソメソしてばかりいて、今を楽しめなくなるのは、何だかおかしいものね。誰も、そんなこと望んでいない。泣きたいだけ、十分泣いたし。これからも、泣きたい時は、泣くけれど(笑)(その時は、彼がそばにいてくれる)

明るく笑っていたい。

32才。そんな悠長なことを言っていられる年齢じゃない気もするけれど。「次」の喜びが、来るべきタイミングでやってきてくれるまで(と言うか、またあの子がお腹に戻ってきてくれるまで?)「今の自分」を、うんと楽しむんだ。

 

次の記事>>>細胞の再生とともに、心も元気に。終わりは、次の始まり。




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