10年の節目で思い出す子宮外妊娠のこと、あの時の気持ちを忘れないために。




今となっては、2児の母。

ドタバタと子育てに奮闘し、それが当たり前のような日常。

こちらのタイミングなどお構いなしにあれやこれやと要求してくるこどもたちのお世話に明け暮れ、こども目線で遊びの相手をして、自分の時間が思うように持てず、はぁ〜とため息をついてしまうことも。そんな中、ハッと我に返る。こどもを生んで育てる喜び、そのかけがえのない意義を、尊さを、おろそかにしがちじゃないかって。

今、chibicoが最も優先すべきことは、何。

 

それは、『子育て』

望んで、強く願って、努力して「母親」になった。最高のママになる自信はあった。なんの根拠があったのだろう。逆に言えば、30代に突入した時、仕事でキャリアを積んでいたわけでもなく、「母親になっている自分」以外、自分の未来像を思い描いていなかった。だから、母親になれない自分は、価値がないとさえ思い込んだ時期もあった。

ゆいともも、chibicoを母親にしてくれた、ふたりのミラクルが存在する。

日常生活の中で、面倒臭かったりして、はいはいと適当な返事をしてしまう時がある。そんな自分に気がついた時、罪悪感が襲う。ごめんね。片手間ではなく、ちゃんと向き合おう。四六時中は無理でも、意識しておくことが大事だと思う。二度と戻らない時間を、大切にしよう。

こどもたちの透き通った眼差し、その瞳に映るママは、笑顔のママでいたい。ふたりの言葉を、耳を澄まして聞こう。ゆいとももにとって、世界でただひとりのママは、私。圧倒的な信頼を、真正面から受け止めて。

今日も、ゆいとももを、腕からあふれんばかりの奇跡を、抱きしめる。

 

そんな中、ふと思い出すのは、10年前の子宮外妊娠。

10年前の2月の出来事だから、この秋が深まる頃に、10歳。もしかしたら、10歳になる子が、とふと心に浮かぶのです。不思議なことに、ふわぁ〜と、あたたかな気持ちに包まれて。きっと、当事者であるchibicoしか感じ得ない、説明のできない何かがそこに在る。

人生、いろいろなことが起こって、人のやさしさを知って、ひとりで生きているのではないと身にしみて。

子宮外妊娠で悲しい経験をしたことが(その後の不妊治療の方がさらに試練だったけれど)すべてに、意味があって、今のしあわせにつながっている。10年前の日記(当時、つらさをどこかに吐き出したくて数ヶ月だけ書いていたものの、全部下書き保存で未公開の幻ブログ。ログインしてみたら、まだ生きていた)

忘れないために、こちらにアップしておこうと思います。

 

次の記事>>>待望の!?妊娠かもしれない希望を持ちつつ、不安に過ごす切ない日々。」




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